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開基
「開基〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
開基の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
リの到着。昨日《きのう》の第一着は差引きでゼロと相成った。残念残念。 雲巌寺は
開基五百余年の古寺《ふるでら》で、境内に後嵯峨《ごさが》天皇の皇子《おうじ》仏国....
「虞美人草」より 著者:夏目漱石
ん》の総長は誰ですか」 「総長とは」 「叡山の――つまり叡山を建てた男です」 「
開基《かいき》かい。
開基は伝教大師《でんぎょうだいし》さ」 「あんな所へ寺を建て....
「初秋の一日」より 著者:夏目漱石
をしているうちに、老師から縁切寺《えんきりでら》の由来《ゆらい》やら、時頼夫人の
開基《かいき》の事やら、どうしてそんな尼寺へ住むようになった訳やら、いろいろ聞い....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
に答えた。「わたくしは十四年前から当寺の住職に直りました。この高源寺は慶安年中の
開基で、相当の由緒もある寺でござりますが、先代からの借財がよほど残って居ります上....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
していたのに、出る気色もない。 やがて乗りつけたところは、やはり伝通院でした。
開基は了誉上人、始祖家康の生母がここに葬られているために、寺領六百石を領して、開....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
お願いがあります。御先祖の万福寺殿、それに徳翁了寿居士御夫婦――お一人は万福寺の
開基、お一人は中興の
開基でもありますから、この二本の位牌だけはぜひとも寺にお残し....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
ば恨みてぞ焼くしほの山 あまの煙と人はいふらん その赤松の姫君がこの尼寺の
開基ということであります。それは南北時代のことであるから、かなり時が経っています....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、その昔、飛行上人《ひぎょうしょうにん》がこの山に多年のあいだ住んでおりまして、
開基を致されたと承りました。飛行上人と申すのは、いずれのお生れか存じませんが、飛....
「増上寺物語」より 著者:佐藤垢石
寺としての豪勢、関東に並ぶものはなかった。 上野の、東叡山寛永寺は、天海上人の
開基である。天海上人は観智国師の法友で、共に武蔵国の人であった。国師の推薦に与っ....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
小半丁も行くと左手に少し引込んで黄蘗の禅寺がある。牛島の弘福寺といえば鉄牛禅師の
開基であって、白金の瑞聖寺と聯んで江戸に二つしかない黄蘗風の仏殿として江戸時代か....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
仏哲に大音楽師として楽隊の長とならしめられた。そして開眼供養を行われる。東大寺の
開基というのは聖武天皇とバラモン僧正、行基。行基は建った時には死んでおりますから....
「本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
。福島県|耶麻《やま》郡|熱塩《あつしお》村に五峰山慈眼寺と云うがある。僧空海の
開基したと伝える巨刹で、境内に人掛松《ひとかけまつ》とて大木がある。昔は天狗が人....
「政事と教育と分離すべし」より 著者:福沢諭吉
りて、はじめて世相を変じたるものの如し。(徳川をはじめとして諸藩にても新に寺院を
開基し、または寺僧を聘《へい》して政事の顧問に用うるが如き習慣は、儒教のようやく....
「加波山」より 著者:服部之総
田から鹿島《かしま》行方に往返のたび越えたのは東寄りの山路であるそうな。本願寺の
開基|覚如《かくにょ》の作になる『本願寺聖人親鸞|伝絵《でんえ》』第三段には次の....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
頽の後のことと察せられる。『八重桜』には、悲田院はもと元興寺中の一院で、光明皇后
開基だとあるが、もとより採るに足らぬ。その所在も元興寺境外である。悲田院がここに....