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院の御所
「院の御所〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
院の御所の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「源氏物語」より 著者:紫式部
くるようにして苦しがるのである。どうなることかとだれもだれも不安でならなかった。
院の御所からも始終お見舞いの使いが来る上に祈祷までも別にさせておいでになった。こ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
のできる事ではなかった。 四十九日までは女御《にょご》や更衣《こうい》たちが皆
院の御所にこもっていたが、その日が過ぎると散り散りに別な実家へ帰って行かねばなら....
「源氏物語」より 著者:紫式部
ぬ美貌《びぼう》を御覧になった時から、恋しく思召されたのであって、帰京後に、 「
院の御所へ来て、私の妹の宮などと同じようにして暮らしては」 と宮のことを、故人....
「源氏物語」より 著者:紫式部
上飾りを付けた新味のある御贈り物であった。御|挨拶《あいさつ》はただお言葉だけで
院の御所への勤務もする左近の中将がお使いをしたのである。大極殿の御輿《みこし》の....
「源氏物語」より 著者:紫式部
から、この人をお世話あそばして老後の力にしたいと望んでおいでになった。元服の式も
院の御所であげられた。十四の歳であった。その二月に侍従になって、秋にはもう右近衛....
「源氏物語」より 著者:紫式部
は申し上げられないではありませんか。中宮がいらっしゃるからと御遠慮をなすっても、
院の御所には叔母様の女御さんがおいでになったではありませんか。世話をしてやろうと....
「源氏物語」より 著者:紫式部
て、院へ経などをお教え申し上げる人であった。ある時京へ出たついでに宇治の阿闍梨は
院の御所へまいったが、院は例のような仏書をお出しになって質問などをあそばした。そ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
で頼んでおいでになるのでもあって、薫は女二の宮をたいせつな人にはしていた。宮中、
院の御所へのお勤め以外にまた一つの役目がふえたように思われるのもこの人に苦しいこ....
「「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
、いつか御前にたのんで置いた手紙の主は今どこに居らっしゃるね」とおっしゃるので「
院の御所にいらっしゃいます」と申しあげたら「せめて手紙でもあげて御返事でもいただ....
「鎮西八郎」より 著者:楠山正雄
入れにならないので、しかたなしに長男の義朝をのけた外の子供たちを残らず連れて、新
院の御所に上がることになりました。 そういうさわぎの中に為朝がひょっこり帰って....
「俊寛」より 著者:倉田百三
どになっているはずです。別れる時に三つだったから。乳母の六条の膝にのって、いつも
院の御所に出仕する時と同じように、何もしらないで片言を言ってわしに話しかけていま....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
の方面にも、演劇改良の急先鋒であった。 その「文覚」の四幕目で、団十郎の文覚が
院の御所へ闖入して勧進帳を読みあげる時に、三人の蔵人が彼を組み留めようとし、文覚....
「法然行伝」より 著者:中里介山
に帰依し、鎮西の庄園の土貢を割いて毎年法然に寄附して来たが、云うよう、 「わしは
院の御所より外には車を立てたことはない身だが、法然上人の庵に車を立てることは苦し....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
室御親政の古にかえすという力が動いていたので、摂関家に抑えられていた反対勢力が、
院の御所の事務長官である院|別当などを頭に立てて、源氏平家の武力を京都で行使させ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
けのない……」 正成は、叱った。 「そちたちは、元々、いぜんお仕え申していた女
院の御所に浮名をのこして、生涯を巷のうちにと、御所をあとに逃げ落ちたときから、す....