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「院政〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

院政の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
国語音韻の変遷」より 著者:橋本進吉
ものであった。しかるに、この仮名は初のうちは相当正しく音韻を表わしたであろうが、院政・鎌倉時代から室町時代と次第に音韻が変化して行った間に、仮名と音韻との間に不....
古代国語の音韻に就いて」より 著者:橋本進吉
音はまだ二十あったと思われますから、これを加えて六十四になります。これらは恐らく院政時代頃にはもう一緒になってしまったのではないかと思います。 こうなると「い....
近時政論考」より 著者:陸羯南
たる人々なり。第二種の論者よりは幾分か多くの洋籍を繙き、英米学者の代議政体論、議院政治論、憲法論、立法論などは彼らよりも一層精しく講究せり。吾輩はこの論派の代表....
娘煙術師」より 著者:国枝史郎
うにして、今や露骨に向かい合った。 明和尊王事件というのは「柳子新論」「院政記略」「省私録」等の名著を著わし、諸子百家の学に通じ、わけても兵学に堪能であ....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ね。それに比べれば南朝の論理の方がいささか文明さ。 建武中興の理想は武家政治や院政の否定、天皇親政復活ということであるが、皇位相続の正しい法則をどこに求めるか....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
対して、何かたちおくれた弱気な落着の仕方であることだけはたしかであった。その頃は院政の時代になっていて、摂関政治を抑え、皇室御親政の古にかえすという力が動いてい....
無月物語」より 著者:久生十蘭
一 後白河法皇の院政中、京の加茂の川原でめずらしい死罪が行われた。 大宝律には、笞《ち》、杖《....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、ひとつには。 二ノ御子尊治(後醍醐の御名)の即位をやっと見給うたこと。また、院政という歴代にわたる厄介な二政府式の弊も廃して、天皇一令のむかしに復元されたの....
私本太平記」より 著者:吉川英治
の意味をなしていないと、いう者もあるにはあった。 武家もなく、幕府もなく、また院政だの、公卿の専横もなかった以前の世は、政治は天子が統べ給うものときまっていた....
私本太平記」より 著者:吉川英治
は、多年潜伏していた。やがて、父皇後嵯峨の崩御をみるや、後深草は時こそいたると、院政の覇座を狙われた。ところが、これにも、亀山天皇の邪魔が入った。――弟と兄の喧....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
時、保延三年。藤原専制の末期――西紀一一三七年。 崇徳帝の朝廷と、鳥羽上皇の院政と、二つの政府の下に、まだ中流層といったような層はなく、貴族層と低い雑民層だ....
建国の事情と万世一系の思想」より 著者:津田左右吉
シカガ(足利)氏なりトヨトミ(豊臣)氏なりトクガワ(徳川)氏なりであり、いわゆる院政とても天皇の親政ではなかった。政治の形態は時によって違い、あるいは朝廷の内に....