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院生
「院生〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
院生の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
でもできるだけ豊かな快い夜昼《よるひる》を送るようにのみ傾いていたので、貞世の病
院生活にも、だれに見せてもひけを取らないだけの事を上《うわ》べばかりでもしていた....
「明暗」より 著者:夏目漱石
関に出ると、すぐそこに待たしてある車に乗った。
「さよなら」
多事な一週間の病
院生活は、この一語でようやく幕になった。
百五十四
目的の....
「恐しき通夜」より 著者:海野十三
っき、大尉どのは、『戯れに恋はすまじ、戯れならずとも恋はすまじ』と、禅坊主か修道
院生徒のような聖句を吐かれたが、僕は、どうかと思うね。それなら、ちょいと伺ってみ....
「黴」より 著者:徳田秋声
笑った。 その窓際では、次の女の子がやっと掴まり立ちをするころであった。長い病
院生活のあいだ、ろくろく母親の乳房も哺ませられたことなしに、よそから手伝いに来て....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
かった。運命に毀たれぬ確かな平和はまだその影をも私に示しているのではなかった。病
院生活の終わり頃に、私はまた一つのできごとに試みられて私の生活法を代えねばならな....
「『土』に就て」より 著者:夏目漱石
《りくつ》だからである。 長塚君は不幸にして喉頭結核にかかって、此間迄東京で入
院生活をして居たが、今は養生|旁《かたがた》旅行の途にある。先達《せんだっ》てか....
「慾」より 著者:豊島与志雄
加減と省略と補遺とを加えて、村尾の饒舌を少しまとめてみよう―― 四ヶ月に亘る病
院生活のなかで、一番多く考えたのは、自由ということだった。病
院生活は、牢獄生活と....
「十一谷義三郎を語る」より 著者:豊島与志雄
に右肺の大半と左肺も点々と結核に犯されていた。十一谷君は回復を確信していたが、入
院生活ではその確信がもてないと云って、自宅療養を続けた。 昨年の末、逗子から秋....
「文学以前」より 著者:豊島与志雄
商人などが自由にはいって来るし、深夜迷い込んでくる怪しい男までないではない。然し
院生等は、時折の登山や遠足などに連れ出される外、無断外出は一歩たりとも厳禁されて....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
、かえって有害なるものとなる。
修道院内にこもるには、特殊な時期があった。修道
院生活は、近代文明の初期の教育には有効であったが、文明の成長には妨げとなったし、....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
てコゼットが考えそうなことをあれこれと思いめぐらした。
そういう時に彼は、修道
院生活の方へ、あの清浄なる峰、あの天使の住居、あの達すべからざる高徳の氷山の方へ....
「自転車嬢の危難」より 著者:ドイルアーサー・コナン
。彼が坊さんであったとか、またあるとかと云う噂もあるんだ。ところがその短い間の廃
院生活に起った、一二の事件を見ると、どうも坊さんらしくないと思われる点があるんだ....
「光は影を」より 著者:岸田国士
……。この三月には、用意万端をとゝのえて、僕が迎いに来よう」 「あたし、もう、病
院生活は、あきあきしたの。どこか山奥へでも引つ込んで、ひとりで自炊をしながら、誰....
「智恵子の半生」より 著者:高村光太郎
昭和七年以来の彼女の経過追憶を細かに書くことはまだ私には痛々しすぎる。ただ此の病
院生活の後半期は病状が割に平静を保持し、精神は分裂しながらも手は曾て油絵具で成し....
「墓が呼んでいる」より 著者:橘外男
ていても気が気ではないのです。 永い秋の日を、一日一杯|寝椅子で安臥している病
院生活の間中、寝ても醒めてもただうつらうつらと、日となく夜となく頭の中で私にほほ....