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陰地
「陰地〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
陰地の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
の句。醜い姿忌み嫌わるゝ悲しさに、大びらに明るい世には出られず、常に人目を避けて
陰地にのたくり、弱きを窘めて冷たく、執念深く、笑うこともなく世を過す蛇を思えば、....
「だるまや百貨店」より 著者:宮本百合子
片はじから倒産し、機械をとめている。広幅ものの輸出羽二重や人絹を織っていたこの山
陰地方の町の機屋は、直接アメリカの恐慌の打撃を蒙ったのであった。近頃では、大勢織....
「午市」より 著者:宮本百合子
いた。おふゆの両親が死絶えたので、親類ともいつか疎遠になった小関の一家は、暫く山
陰地方にある国へも帰らなかった。今度、健介が、一週間ばかり法事のついでに故郷の様....
「道成寺(一幕劇)」より 著者:郡虎彦
み、奥の方に一路の降るべきが見えたり。下手の方、路の片隅によりて月色|渦をなし、
陰地には散斑なる蒼き光、木の間を洩れてゆらめき落つ。風の音時ありて怪しき潮のごと....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
種々問合わせがあり、私はいちいち返事を書く暇もないので困っていました。そのうち山
陰地方の○○○という小さな町の娘さんから手紙で、ぜひ店において商売を見習わしてく....
「鍬と鎌の五月」より 著者:黒島伝治
農民の五月祭を書けという話である。 ところが、僕は、まだ、それを見たことがない。昨年、山
陰地方で行われたという、××君の手紙である。それが、どういう風だったか、僕はよく....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
ス、亦高サ一丈許ニ止マル者アリテ下半特ニ枝葉ナク、人家庭院ニ栽植ス、枝葉扶疎、清
陰地ニ満チテ殊ニ愛悦スベシ、然レドモ竹身ニ下※ニシテ上細ク、竿大ニシテ葉小ク、図....
「くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
ので、本誌七巻三号の倉光君の報告せられた「蒲とクグ」(五九頁)によると、今でも山
陰地方では、山子・木挽・石屋等に限って、叺様の藁縄製の袋を携帯しているが、旧皮屋....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
られた雑職人の通称であったのは言うまでもない。なおこの事は後項に説明する。 山
陰地方にはかつてハチまたはハチヤと呼ばれた一種の階級の民衆があった。山陽道筋でチ....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
摩の南端でナカンマとも呼んでいるから、かなり古くからの名であったことがわかる。山
陰地方は一帯に、この食事をハシマと謂って通ずる。ハシマもハサマもまた中間の食物の....
「童子」より 著者:室生犀星
私は気むずかしく叱りつけた。しまいに乳を棄てるところがなくなり、庭の萩の植った
陰地を掘って棄てた。 或晩、玄関に客があったので、家のものが忙しく、私が何気な....
「語呂の論理」より 著者:中谷宇吉郎
例えば、「初雪」のところには次のような一節がある。 ……そもそも越後国は北方の
陰地《いんち》なれども、一国の内《うち》陰陽を前後す。いかんとなれば天は西北にた....
「年中行事覚書」より 著者:柳田国男
のである。 ○ そう考えても許さるるかと思う傍証の一つは、これも山
陰地方でならば得られる資料で、出雲大社を始めとして、遠方の神々へお詣りに行った者....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
井に産所という所があって、そこの人はもとやはり賤まれておりました。産所すなわち山
陰地方でいうハチヤ或いはハチと同類で、越中でトウナイというのもつまりは「十無い」....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
った。 近畿地方では、俗にいわゆる番太或いは※房をハチと呼ぶところがあった。山
陰地方に鉢屋と呼ばれたものもやはりハチで、土師の義であると解せられる。ハチはハシ....