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陰暦
「陰暦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
陰暦の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
頭《かしら》を垂れた。そうしてついに空しくなった。……
寛文《かんぶん》十年|
陰暦《いんれき》十月の末、喜三郎は独り蘭袋に辞して、故郷熊本へ帰る旅程に上《のぼ....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
いえばもちろんもう月は変わって、文月《ふみづき》七月です。ご承知のごとく、昔は太
陰暦でございますから、現今とはちょうどひと月おくれで、だから七月といえば、まさに....
「野菊の墓」より 著者:伊藤左千夫
つつ危くなるのである。とにかく二人は表面だけは立派に遠ざかって四五日を経過した。
陰暦の九月十三日、今夜が豆の月だという日の朝、露霜が降りたと思うほどつめたい。そ....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
今夜の宴に招かれることになった。 山中ばかりでなく、陣中にも暦日がない。まして
陰暦の中秋などは我々の関知する所でなかったが、二、三日前から宿の雇人らが遼陽城内....
「世界怪談名作集」より 著者:岡本綺堂
の地方を占領していた。彼は毎年正月十五日から五日のあいだは、明州府の城内に元霄(
陰暦正月十五日の夜)燈をかけつらねて、諸人に見物を許すことにしていたので、その宵....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
よい作である。作者がお供をして詠んだとなす説はいけない」(総釈)と云うが、これは
陰暦十月十日以後に萩が無いということを前提とした想像説である。そして、真淵の如き....
「三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
二 そういうわけで、私は数えどし十五のとき、郷里|上ノ山の小学校を卒え、
陰暦の七月十七日、つまり盆の十七日の午前一時ごろ父に連れられて家を出た。父は大正....
「月日の話」より 著者:坂口安吾
四日とナニワ節にうたわれていることはたれも知る通りである。 けれども、これは太
陰暦でいってのことで、今日通用している太陽暦からいうと、たぶん、翌年の一月十何日....
「乳を刺す」より 著者:邦枝完二
星|灯ろう
陰暦七月、盛りの夏が過ぎた江戸の町に、初秋の風と共に盂蘭盆が訪れると、人々の胸に....
「青蛙神」より 著者:岡本綺堂
第一幕の登場人物 李中行 その妻 柳 その忰 中二 その娘 阿香 高田圭吉 旅の男 時は現代。
陰暦八月十五日のゆうぐれ。 満州、大連市外の村はずれにある李中行の家。すべて農....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
びてしまったのである。わたしは俄かにさびしい心持になって、ぼんやりと表へ出ると、
陰暦の十五夜に近い月の光りがあざやかに地を照らして、葉のまばらな柳のかげが白くな....
「はなしの話」より 著者:岡本綺堂
今夜の宴に招かれることになった。 山中ばかりでなく、陣中にも暦日がない。まして
陰暦の中秋などは我々の関知する所でなかったが、二、三日前から宿の雇人らが遼陽城内....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
いう宣告であります。
で、その宣告を受けて死刑に処せられた日は我が明治二十年の
陰暦六月の何日であったか日は分らないが、六月の某日に同尊者はチベットの東方にコン....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
電灯の、光りは星とあやまたれけり 十時出港。通宵汽船、珠江にさかのぼる。ときに
陰暦十三夕にして、淡雲を隔てて涼月を望む。すこぶる幽趣あり。 十二日、曇りのち....
「ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
に
居据わっていることに慣れていますの。
わたし達の居所に気を附けて御覧なさい。
陰暦も陽暦も、わたし達が極めるのです。
「国と国との裁判せんと、
塔の前にぞ我等....