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陸路
「陸路〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
陸路の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「野菊の墓」より 著者:伊藤左千夫
らえて、年を越し元日一日置いて二日の日には朝早く学校へ立ってしまった。 今度は
陸路市川へ出て、市川から汽車に乗ったから、民子の近所を通ったのであれど、僕は極り....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
てみた。が、それも徒労の旅だった。江戸へ引っ返すと、碓氷峠を越えて信濃を経て、北
陸路に出て、金沢百万石の城下にも足を止めてみた。が、その旅も空しい辛苦だった。近....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
問われつつあった。殊にドイツが大海軍の建設をはじめただけでなく、三B政策によって
陸路ベルリンからバグダッド、エジプトの方に進んで行こうとするに至って、英国は制海....
「運命」より 著者:幸田露伴
の日、帝、楊、葉、程の三人と共に、呉江を出で、舟に上りて京口に至り、六合を過ぎ、
陸路|襄陽に至り、廖平が家に至りたもうに、其後を訊う者ありければ、遂に意を決して....
「霊魂第十号の秘密」より 著者:海野十三
渡れたのであろうか。その方面を聞いてもらったが、そういう人物は入国していないし、
陸路はもちろん、空路によってもスイスからスエーデンへ入ることは絶対にできない情勢....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
・四三四九〕 防人 防人、助丁刑部直三野の詠んだ歌である。一首の意は、これまで
陸路を遙々と、いろいろの処を通って来たが、これからいよいよ船に乗って、更に多くの....
「宝島」より 著者:佐々木直次郎
った。 その翌朝、私たちは早くから働き始めた。この恐しくたくさんの黄金を浜まで
陸路で一マイル近く運搬し、そこからボートでヒスパニオーラ号まで三マイル運搬するの....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
。 当時は今のカガミガ原のあたりまで入海がきておって、大和飛鳥へ進出するには、
陸路づたいの軍兵もあったろうが、舟でこの辺から出て伊勢熊野へ上陸、主力はそっちか....
「わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
でゝ、南宮山を眺めながら関ヶ原を歩いてゐた。たゞこの古戦場を見るために帰りの旅に
陸路を選んだ甚兵衛は感無量であつた。小西行長の祐筆の家に生れた彼は幼少のため関ヶ....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
。しかし殷賑な通商、豊富な漁猟によって生気を帯びた生活エネルギーは、比較的不便な
陸路のために封鎖的になったこの港街に独特な精彩と活況とを与えた。そしてそれが幾世....
「火の扉」より 著者:岸田国士
の娘を妻にしようと思つた。そうかと思うと、またある時は、自慢の脚にものをいわせ、
陸路をアジアからヨーロッパへ抜けてスカンヂナビヤの一角にたどりつき、文明と平和の....
「沙漠の古都」より 著者:国枝史郎
がるその辺には彼らの部落があるのであろう。セミパラチンスクで二泊した。これからは
陸路を行くのである。塔爾巴哈台までの行程にはただ禿げ山があるばかりだ。一望百里の....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
たそうだ。 この城は天嶮だね。しかし眼下に平野を見下し、水運には恵まれないが、
陸路の要地ではある。政宗が仙台を開府したのは、大坂や江戸の開府よりも後のことだ。....
「いなせな縞の初鰹」より 著者:北大路魯山人
しつつ当年の江戸で歓迎された初がつおは、海路を三崎廻りで通ったものではあるまい。
陸路を威勢よく走って運ばれたものであろうが、それにしても日本橋の魚河岸に着く時分....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
感ず。午後五時、海中に灯台を望む。これ河口なり。 水の色の濁りて浪もしづまりぬ、
陸路近づくしるしなるらん これより河口をさかのぼること数里にして、ピンキンバ駅....