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隠岐島
「隠岐島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
隠岐島の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
魚ヲ食ウ。これは何者か関東を滅す。という予言に相違ない。日西天ニ没スとあるは、帝
隠岐島へ御|遷幸ましまされた、この一事を指しておられるのであろう。三百七十余日と....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
には無之候。隠岐国に於ては百姓の次に位する間脇と称する階級ありたるのみ。貞享四年
隠岐島各村の統計を編綴したる隠州記といふ書には、島後の島内村数四十九箇村、家数二....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
っては、王者でなければ口にもし得ない感懐がうたわれてある。その特色は、承久乱後、
隠岐島に遷幸になってからのお歌にもけざやかにあらわれている。その意味で、後鳥羽院....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
ない。 同様に、隠岐ノ島にも、未判定の問題がのこっている。 この方は、現実の
隠岐島民間の論争やら、また対文部省の史蹟指定の面だとか、観光客誘致の方にもひッか....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
る風があったからと思う。こういう不吉な名が出来たのにも理由があったらしいことは、
隠岐島の一部または瀬戸内海の島で、この草をソウレバナというのを見ても察せられる。....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
すらもできないのは、権能ある指導者の恥辱だと思う。 昭和八年の五月、私は始めて
隠岐島に渡ってみた。西郷の町に逗留していた際に、宿の近くの大社教の分院に何か祝い....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
んだんと大きくなったといって、見上げるような高い石神の岩が村の近くにありました。
隠岐島の東郷という村では、昔この浜の人が釣りをしていると、魚は釣れずに握り拳ほど....
「母の手毬歌」より 著者:柳田国男
なる。関東地方でも、千葉県などではコジャという言葉がひろくもちいられ、中国地方も
隠岐島などは、田植の日の午前の小バサマを小茶、午後に昼寝をして起きて食べるのを、....