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「雄略天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

雄略天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
いらっしゃいました。 とんぼのお歌 一 大長谷皇子は、まもなく雄略天皇としてご即位になり、大和の朝倉宮にお移りになりました。皇后には、例の大日....
日本人の自然観」より 著者:寺田寅彦
は鹿や猿がずいぶん多くて狩猟の獲物を豊富に供給したらしいことは、たとえば古事記の雄略天皇のみ代からも伝わっている。しかし人口の増殖とともに獲物が割合に乏しくなり....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
て、それからいちいち字義の解釈を下して、全体の説明にうつりました。 「この歌は、雄略天皇様が、あるところの岡のあたりで、若菜を摘んでいる愛らしい乙女を呼びかけて....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
、充分味うことの出来る歌である。 なお、一寸前言した如く、巻九(一六六四)に、雄略天皇御製歌として、「ゆふされば小倉の山に臥す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも」....
水の女」より 著者:折口信夫
、機に関した讃え名らしい貴女の名が多かった。二三をとり出すと、おしほみゝの尊は、雄略天皇の皇后として現れた方である。 神功皇后のみ名おきなが・たらし媛の「たら....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
の時代には、東方諸国実に蝦夷の巣窟たりしなるべし。否、ただに史前時代のみならず、雄略天皇の御事なりと解せらるる倭王武の宋に遣わし給える「国書」に、祖宗以来武をも....
「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
なりというではないが、しかもさらに最も明瞭に、遺憾なくこれを説述したものは、我が雄略天皇が宋の武帝に遣わされたと称せられる、宋書記載の国書の文である。 昔、祖禰....
火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
焼かれ給うべきところであった。また葛城|円の大臣は、黒彦皇子・眉輪王等とともに、雄略天皇の為に家ぐるみ焼かれてしまった。蘇我入鹿が山背大兄王を斑鳩宮に焼かしめた....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
皇の御生父たる市辺押磐皇子の従者に、佐伯部売輪というものがありました、御父皇子が雄略天皇の為にお殺されになりました時に、売輪は皇子の屍を抱いて離れず、遂に天皇の....
古事記」より 著者:武田祐吉
八岐の大蛇退治 建御雷の神 神武天皇 五瀬の命 大※古の命 倭建の命 建振熊雄略天皇 氏族 海神の系統 民族同祖 猿女の君 意富の臣等 建内の宿禰の系....
古事記」より 著者:太安万侶
を隱して馬飼《うまかい》牛飼《うしかい》として使われておいでになりました。 五、雄略天皇 后妃と皇子女 オホハツセノワカタケの命(雄略天皇)、大和の長谷《はつ....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
人がその族を挙げて奴隷の境遇に落ちたというようなことも無いではなかったが、それも雄略天皇の十五年に解放せられて秦造の部民となった。されば少くも歴史時代における実....