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「雄藩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

雄藩の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
島原の乱」より 著者:菊池寛
ぎない。恐らくは、細川の五十四万石、有馬の二十一万石、立花の十一万石等々の九州の雄藩は、容易に重昌の下命に従わないであろう。その為に軍陣はかばかしからず、更に新....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
した。 「当り二本!」 つづいて三本。 つづいて四本。 さすがは奥地第一の雄藩に禄を喰む若侍だけあって、どうやらこの道の相当|強の者らしいのです。と見えた....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
った。 時代は混沌として来た。彦根と水戸とが互いに傷ついてからは、薩州のような雄藩の擡頭となった。関ヶ原の敗戦以来、隠忍に隠忍を続けて来た長州藩がこの形勢を黙....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ようとしているフランス公使ロセスと、この国に革命の起こって来たことを知って西国の雄藩を励まそうとしているイギリス公使パアクスとが、皇帝と大君との真の関係について....
惜別」より 著者:太宰治
、ひどくまじめな人で、いつか周さんが仙台の人に就いて批評していたように、「東北の雄藩の責任を感じて、かたくなっている」だけなのである。「仙台の面目」とでもいうよ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
》を入れる。そのくらいだから寛厳の手心が甚《はなはだ》しく、彦根、尾張、仙台等の雄藩の領地は避けて竿を入れず、小藩の領地になるというと見くびって、烈しい竿入れを....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
、思う存分に竿を入れる。そのくらいだから寛厳の手心が甚しく、彦根、尾張、仙台等の雄藩の領地は避けて竿を入れず、小藩の領地になるというと、見くびって烈しい竿入れを....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
たりましても、それからどうなりますか、容易に予断を許しません、勤王の方は、西南の雄藩が支持しておりまして、これが関ヶ原以来の鬱憤を兼ね、その潜勢力は容易なもので....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
府よりはむしろ勤皇を名として勢いを作り、幕府の実権をわが手におさめようとする一二雄藩の野心である。ちょうど、足利尊氏《あしかがたかうじ》が最初に勤皇として起り、....
丹下左膳」より 著者:林不忘
そうなものだが。 貧乏で、たださえやりくり算段に日を送っている小藩へ、百万石の雄藩でさえ恐慌をきたす日光おつくろいの番が落ちたのだから、藩中上下こぞって周章狼....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
、次期政権の必然的候補者といわれている対馬典六であった。典六は善鬼の藩と対立する雄藩の代表的人物でもあった。そこでZ国の大使フランケン(この名もデタラメ。発音に....
文化史上より見たる日本の数学」より 著者:三上義夫
かし数学者の多かった割にずばぬけた人物は輩出しておらぬようである。 薩州はあの雄藩で、天文理化の学を奨励したほどのところであるけれども、和算はさっぱり駄目であ....
斬られの仙太」より 著者:三好十郎
ているらしい。京都で薩摩の者達ともしきりに往来していられたという情報もあります。雄藩連合等の遠大なお考えがあるのかも知れません。われわれ若輩にはその辺よくわから....
志士と経済」より 著者:服部之総
ずつづいている。この二年間、志士にたいする幕府の追及はいよいよはげしく、反対派諸雄藩主もほとんど抑止して動かず、一見すべては平穏かと見えて、やがて地下では、桜田....
尊攘戦略史」より 著者:服部之総
副将軍的スローガン尊王攘夷は、たちまち、幕政を改革して大藩の権力を伸張せんとする雄藩ブロックの戦略語として襲用された。 斉昭の尊王攘夷唱導は、たまたまその子|....