非戦論[語句情報] »
非戦論
「非戦論〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
非戦論の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海に生くる人々」より 著者:葉山嘉樹
、ファヤマンの方でも小倉が、持って行って見せた要求条件が、問題になって、主戦論と
非戦論との猛烈な論戦が行なわれていた。だが、全体として階級闘争ということは、ハッ....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
を教えてもらった。それは僕の血肉には幸か不幸か滲み入らなかった。が、日露戦争中の
非戦論者に悪意を持たなかったのは確かにヒサイダさんの影響だった。 ヒサイダさん....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
らしい気持になっていた。 ――僕ばかりじゃない。さらにその翌年、DとSとがその
非戦論のために新聞を出て一週刊新聞(平民新聞)を創めて、新しい社会主義運動を起し....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
が、あまりに武田の武力を自負している勝頼は跡部|大炊助勝資の言を聴いて許さない。
非戦論者達は、では長篠城を抜いて勝頼を入れ、一門の武将は後陣となり、我等三名は川....
「謀叛論(草稿)」より 著者:徳冨蘆花
。しかるに狭量神経質の政府は、ひどく気にさえ出して、ことに社会主義者が日露戦争に
非戦論を唱うるとにわかに圧迫を強くし、足尾騒動から赤旗事件となって、官権と社会主....
「道標」より 著者:宮本百合子
たことがあったんでしょう?」
「それは、平民新聞を出す前のことだ、黒岩が万朝報で
非戦論をとなえたのは。半年ばかりで、へこたれて、青年会館で演説会をやる頃には、す....
「獄中生活」より 著者:堺利彦
て教誨師の説諭をうけた。教誨師というのは本願寺の僧侶で「平民新聞というのはタシカ
非戦論でしたかな、もちろん宗教家などの立場から見ても、主戦論などということはドダ....
「婦人改造の基礎的考察」より 著者:与謝野晶子
位の文化生活に見ることの出来なかった特異な貢献を齎すかも知れません。今日のように
非戦論が勢力を持つ時代となっては、男子の腕力に代って、女子の心臓の力が大に役立つ....
「変った話」より 著者:寺田寅彦
の話のようでもある。そうかと思うと、また今の時節には少しどうかと心配されるような
非戦論を滔々と述べ聞かすのであった。 同じ思想が、支那服を着ていてそうして栄養....
「開運の鼓」より 著者:国枝史郎
も見られなくなった。麟太郎は軍事取り扱かいという重大の役目を持っていたが強硬なる
非戦論の主謀者として逸り立つ旗本八万騎を鎮撫しなければならなかった。彼は官軍に内....
「自警録」より 著者:新渡戸稲造
行為を真似《まね》る虞《おそれ》が多い。 米国の南北戦争にクエーカー宗の人々は
非戦論を唱えて、戦時税を払わず、兵役にもつかず、ために当時の政府はその処分につい....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
た。 日露戦争のころ健康な人格主義のモラルが思想界にも、文壇にもあった。たとい
非戦論を唱えてもその態度にシンセリチーがあって、やはり人格主義の空気の中にあった....
「明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
質を具備した。 戦争開始前、「万朝報」によった幸徳秋水、堺利彦、黒岩涙香等は「
非戦論」を戦わした。しかし、明治三十六年十月八日、露国の満洲撤兵第三期となった時....
「三国志」より 著者:吉川英治
多い。 就中、東曹の掾公悌は、 「三つの弱点がある」と、国内の不備をかぞえて、
非戦論を主張した。 その一は、江夏の劉※が、国主の兄でありながら、まったく排け....