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鞅
「鞅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
鞅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「二つの手紙」より 著者:芥川竜之介
たものでございますから。
かような事を、くどく書きつづけるのは、繁忙な職務を御
鞅掌《ごおうしょう》になる閣下にとって、余りに御迷惑を顧みない仕方かも知れません....
「古代国語の音韻に就いて」より 著者:橋本進吉
違った文字が使ってある。例えば今日我々が「ア」と読んでいる中にでも「阿」「婀」「
鞅」「安」のような色々の文字があって、これらの文字を悉《ことごと》く我々は「ア」....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
とんど国権派の世となれり。勝、大木、大隈の諸政事家はこの間もっぱらその主任の政に
鞅掌し、廟堂の大議は多くかの人々をもって決定せしにあらざるか。ついに征韓論は諸公....
「死生」より 著者:幸徳秋水
もブルノーも死刑となった、ペロプスカヤもオシンスキーも死刑となった、王子比干や商
鞅も韓非も高青邱も呉子胥も文天祥も死刑となった、木内宗五も吉田松蔭も雲井龍雄も江....
「浮雲」より 著者:二葉亭四迷
始めて顔を合わせる。文三はお勢よりは気まりを悪がッて口数をきかず、この夏の事務の
鞅掌《いそがし》さ、暑中休暇も取れぬので匆々《そうそう》に出勤する。十二時頃に帰....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
唐律疏議表に、この事を称賛して「仁人之言其利薄哉」と言っておる。 一四 商
鞅、移木の信 秦が六国を滅して天下を一統したのは、韓非子《かんぴし》・商
鞅《し....
「死刑の前」より 著者:幸徳秋水
屋お七も、死刑となった。ペロプスカヤもオシンスキーも、死刑となった。王子比干や商
鞅も韓非子も高青邱も、呉子胥や文天祥も、死刑となった。木内宗五も吉田松陰も雲井竜....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
― 原田《げんでん》、毎々、高岡《かうかう》を繞《めぐ》る 想ひ見る、観師の※
鞅《けんあう》を備ふることを 行《ゆい》て覚ゆ、芒鞋《ばうあい》の着処無きを 満....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
にするために、脱走を不可能ならしむる縛り方をした上、首につけた繩で、監獄において
鞅《むながい》と呼ばるる縛り方を施した。繩を首の後ろから通して、胸の所で十字にし....
「中元祝酒の記」より 著者:福沢諭吉
》あり、所好は必ず長じ、所長は必ず好む。今天下の士君子、もっぱら世事《せいじ》に
鞅掌《おうしょう》し、干城《かんじょう》の業《わざ》を事とするも、あるいは止むを....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
えって俳句の唱和の方が多かったようである。 京都清遊の後、居士はたちまち筆硯に
鞅掌する忙裡の人となった。けれども閑を得れば旅行をした。「旅の旅の旅」という紀行....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
真顔六樹園《まがおろくじゅえん》にゆづりて幕吏《ばくり》(支配勘定)となり事務に
鞅掌《おうしょう》するの傍《かたわら》旧記を閲覧して『孝義録《こうぎろく》』の編....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
らばれて、通具・有家・定家・家隆・雅経・寂蓮の六人が仰せを蒙り、事務は万事良経が
鞅掌したと『増鏡』にも記されている。通具は良経に対して土御門家を代表した形である....
「三国志」より 著者:吉川英治
なすってはいかがですか」 孔明は笑って教えた。 「漢王は、その前時代の、秦の商
鞅が、苛政、暴政を布いて、民を苦しめたあとなので、いわゆる三章の寛仁な法をもって....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
、彼らが社寺荘官に属して非人の賤称をもって目せられ、雑役に服し、警察獄吏の事務に
鞅掌するようになっても、なおいくぶん往時の声聞僧の名残りを留めていたものと言わね....