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順徳
「順徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
順徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
の年のできごとであった。陪臣の身をもって、北条義時は朝廷を攻め、後鳥羽、土御門、
順徳三上皇を僻陲の島々に遠流し奉ったのであった。そして誠忠奉公の公卿たちは鎌倉で....
「法然行伝」より 著者:中里介山
にまた述懐の鈔を記して法然の行を賞め申された。 四十二 法然が亡くなってから、
順徳院の建保年間、後堀川院の貞応嘉禄年間、四条院の天福延応年間などたびたび一向専....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
いから、他人に使われて解し兼ねることのないように、一応学ぶべきだと記されてあり、
順徳院の『八雲御抄』にも『万葉』の名はあげておられるが、『万葉』を本体として、そ....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
すが、幾多の言葉が不穏当だというので、修正を受けました。例えば佐渡が島を語る時、
順徳帝のことに言い及びましたら「絶対削除」と朱を加えられました。地理を述べる時、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
かつて、承久の帝政回復の覆りから、時の北条義時のため、後鳥羽上皇は隠岐ノ島へ、
順徳、土御門の二上皇も佐渡や土佐へ流された――宮方敗戦の深刻な悪夢は、百年後の今....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
三百十四回“佐渡へ”の中で、流謫のお方を後鳥羽院としたのは全く私の思いちがいで「
順徳天皇」でなければならない。 とたんに、読者からのお叱言は、数十通にのぼった....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
伝説も、また方々に残っているようであります。例えば佐渡の金北山の一つの谷では、昔
順徳天皇がこの島にお出でになった頃、この山路で蛇を御覧なされて、こんな田舎でも蛇....
「親鸞聖人について」より 著者:吉川英治
兵乱というものが起こりまして、北条義時が時の後鳥羽上皇を隠岐、土御門上皇は土佐、
順徳天皇を佐渡へ流すというような社会的大事件があったりして、聖人もちょっとはばか....