順礼[語句情報] »
順礼
「順礼〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
順礼の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「梓川の上流」より 著者:小島烏水
ところ、かしこに自然の関鍵を握れるものありと、羨ましくおもったろう、馬士が通る、
順礼が通る、農夫が鍬《くわ》取る手を休めて佇《たたず》む、諸《もろも》ろの疲れ、....
「上高地風景保護論」より 著者:小島烏水
ために、温泉のためではない、日本アルプス登山の中心点のために、将《は》た敬虔なる
順礼の心を以て、日本アルプスという厳粛なる自然の大伽藍に詣でる人々のために、同地....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
けたやつが、女衒《ぜげん》みてえなまねしやがって、何するんでえ。来年あたりゃ西国
順礼にでも出たくなる年ごろじゃねえかよ。はええところ恐れ入りな」 「おいいですね....
「旧主人」より 著者:島崎藤村
なる音や、高い枝の裂ける響や、人足の騒ぐ声は戦闘《いくさ》のよう。私共は親子連の
順礼と後《あと》になり前《さき》になりして、松葉の香を履《ふん》で通りました。 ....
「新生」より 著者:島崎藤村
かかり、同じように白足袋《しろたび》はいた足を延ばし、丁度並んだ男女《ふたり》の
順礼のように二人して通り越して来た小さな歴史を思い出し顔であった。
漸く岸本は....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
奴は旅商人になる。碁打ちになる、俳諧師になる。梅川の浄瑠璃じゃあないが、あるいは
順礼、古手買、節季候にまで身をやつす工夫を子供の時から考えていた位です。そうして....
「深夜の市長」より 著者:海野十三
、同じような使いをさせた。須田町支店、上野支店、金杉支店という順序に、同じような
順礼が続いたが、どこでも同じ質問を発し、そして同じような答を受取った。しかし老人....
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
、私どもは、決して汽車の必要を認めないものではありませぬ。ここです、問題は。あの
順礼の菅笠になんと書いてありますか。 「迷うが故に三界の城あり。悟るが故に十方は....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
年の春千八百何年前に死んだ耶蘇の旧跡と、まだ生きて居たトルストイの村居にぶらりと
順礼に出かけて、其八月にぶらりと帰って来た。帰って何を為るのか分からぬが、兎に角....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
に存すると考えられる。帰朝以来の第一登山に、いずれの山谷を差しおいても、富士山へ
順礼する心持になれたのも、「私たちの山」への親しみの伝統があったからである。 ....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
甘い快楽などは思わない。ただちに苦痛を連想する。宗教を連想する。難行苦行を思う。
順礼を思う。凝りたる雪の上を踏む素足のままの日参を思う。丑の時参りの陰森なる灯の....
「風流仏」より 著者:幸田露伴
きは方様の其後何の便もなく、手紙出そうにも当所分らず、まさかに親子|笈づるかけて
順礼にも出られねば逢う事は夢に計り、覚めて考うれば口をきかれなかったはもしや流丸....
「ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
、五台山に入って修道中、人のために殺されたというのであった。慈覚大師の『入唐求法
順礼記』に「到。」こう書いてある。最澄は延暦二十四年六月に帰朝して、八ヶ月余しか....
「山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
り」「野遊び」の為来りは、大抵娘盛り・女盛りの人々が、中心になっているのである。
順礼等と言って、幾村里かけて巡拝して歩くことを春の行事とした、北九州の為来りも、....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
、まだだったか、それさえも覚えていません。 太鼓橋の池のまわりの日当りの石に、
順礼の夫婦が休んでいて、どうでしょう、女房が一服のんでいて、継ぎはぎだが紅いとこ....