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「須崎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

須崎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
野分」より 著者:夏目漱石
ねずお》の雪駄《せった》をかすかに出した三十|恰好《がっこう》の男だ。 「昨日|須崎《すさき》の種田家《たねだけ》の別荘へ招待されて鴨猟《かもりょう》をやった」....
新版 放浪記」より 著者:林芙美子
頭《まんじゅう》のようなもので消えていた。――間もなく私は小学校へ行くかわりに、須崎町の粟《あわ》おこし工場に、日給二十三銭で通った。その頃、笊《ざる》をさげて....
庭の追憶」より 著者:寺田寅彦
年から三年にあがった夏休みの帰省中に病を得て一年間休学したが、その期間にもずっと須崎の浜へ転地していたために紅葉の盛りは見そこなった。冬初めに偶然ちょっと帰宅し....
自由画稿」より 著者:寺田寅彦
方法を取ったわけである。そういう、西洋のえらい医学の大家の夢にも知らない療養法を須崎港《すさきこう》の宿屋で長い間続けた。その手術を引き受けていたのは幡多《はた....
不動像の行方」より 著者:田中貢太郎
余話 大正九年八月某日、土佐を漫遊していた桂月翁と私は、戸波の青年に招かれて須崎と云う海岸町から戸波の家俊へ往った。それは虚空蔵と云うつくね芋の形をした、土....
三つの挿話」より 著者:堀辰雄
。 註一 「わたくしは幼い時|向島《むこうじま》小梅村に住んでいた。初の家は今須崎町になり、後の家は今小梅町になっている。その後の家から土手へ往くには、いつも....
高知がえり」より 著者:寺田寅彦
ハイカラは浜行の茶船へのる。自分は蚕種検査の先生方の借り切り船へ御厄介になった。須崎のある人から稲荷新地の醜業婦へ手紙を託されたとか云って、それを出して見せびら....
生前身後の事」より 著者:中里介山
ります。頓首 三月十一日早朝 沢田正二郎 この手紙の表書きには本所区向島須崎町八九番地とあって日附は三月十一日になっているが、年号はちょっとわからない、....
入社試験」より 著者:佐藤垢石
下宿へ帰った。 二 入社してみると、社長が箕浦勝人、社主が三木善八、主筆は須崎默堂、編集局長村上政亮などという偉い人物ばかり。中堅から少壮記者には五、六年....
寺じまの記」より 著者:永井荷風
むかしならば小梅《こうめ》あたりを行くのだろうと思っている中《うち》、車掌が次は須崎町《すさきまち》、お降りは御在ませんかといった。降《おり》る人も、乗る人もな....
向嶋」より 著者:永井荷風
よそ》三十年を経て天保二年に隅田村の庄家阪田氏が二百本ほどの桜を寺島《てらじま》須崎《すさき》小梅《こうめ》三村の堤に植えた。弘化三年七月洪水のために桜樹の害せ....
濹東綺譚」より 著者:永井荷風
際、成島柳北が下谷|和泉橋通《いずみばしどおり》の賜邸《してい》を引払い、向島|須崎村《すさきむら》の別荘を家となしてから其詩文には多く※の字が用い出された。そ....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
羽でございますが、此の足音を聞き附け、人が来たかと驚き慌てゝ丈助はバラ/\/\と須崎の土手を折曲って逃げてしまう。音羽は一生懸命に駈けて来て見ると、小三郎が血に....
春泥」より 著者:久保田万太郎
\の身をもち崩しはじめの、近所では眼に立つ、店の隙をみては渡しをわたり、わざ/\須崎町まで清元の稽古にかよった。――間もなくその師匠のもらい娘を連れて駆落をした....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
二州楼という料理屋も両国橋の両側に並んでいた。それから又すし屋の与平、うなぎ屋の須崎屋、牛肉の外にも冬になると猪や猿を食わせる豊田屋、それから回向院の表門に近い....