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「領内〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

領内の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
川越の屋敷でも迷惑に思ったでしょうが、武州川越と笠に書いてあるのが証拠で、自分の領内の者を引き取らないと云うわけには行きません。殊にそれが御城内を騒がしたのです....
義民甚兵衛」より 著者:菊池寛
上げい! 刑吏二 (声高く読み上げる) 弦打村百姓 甚兵衛 その方儀、去る十三日領内百姓一揆騒動いたし候|砌、右一揆に加担いたし、香東川堤において上役人松野八太....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
が習いで、自分の家へ帰ることは許されないことになっていました。 幕府が諸大名の領内へ隠密を出すのは、いろいろの場合があるので一概には云えませんが、大名の代換り....
惜みなく愛は奪う」より 著者:有島武郎
物象が具象化されなければ満足が出来ないと人がいうならば、その人の為めには、文学の領内に詩と小説とが併存するように、これまでのような絵画を存続させておくのもまた妨....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
いずれにしても先度の触れ渡しの趣意が徹底しないのは、遺憾であるというので、さらに領内の宿無し又は乞食のたぐいに対して、三日以内に他領へ立退くべきことを命令した。....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
ったかも知れぬ。が一説に五尺三寸と云うから、其の方が本当であったろう。だが真柄の領内で、この太刀を担げる百姓はたった一人で、常に家来が四人で荷ったというから、七....
島原の乱」より 著者:菊池寛
に至って公然と衆人に示して、勧説するに至った。立ち所に帰する者七百人に及んだが、領内の不穏を察して居た有馬藩では、之が逮捕に、松田兵右衛門以下二十五人をして、船....
小田原陣」より 著者:菊池寛
山に歌を作って居るが、其の先鋒諸隊に対する、厳重な訓令は怠らなかった。殊に家康の領内を行進するのであるから、こんな点抜け目のある男ではない。斯くて二十七日には、....
馬妖記」より 著者:岡本綺堂
がかような不覚をはたらいたのを、唯そのままに致しておいては、他国ばかりでなく、御領内の民百姓にまで嘲り笑わるる道理ではないか。まず市五郎の容態を見届けた上で、次....
備前天一坊」より 著者:江見水蔭
教に励み、熊沢蕃山その他を顧問にして、藩政の改革に努め、淫祠を毀ち、学黌を設け、領内にて遊女稼業まかりならぬ。芝居興行禁制とまで、堅く出ていた人格者。それに秘密....
丹那山の怪」より 著者:江見水蔭
るので、警戒を一層引締て掛ったのだ。 今度の巡検使は、厳しいか、緩やかなのか、領内の者が脈を引いて見るのは、最初の宿の三島という事に代々極っているのだが、純之....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
屋城の天主閣に登って、金の鯱の鱗をはがしたと伝えられている。かれは享保年間に尾州領内をあらし廻った大賊で、その事蹟は諸種の記録にも散見している。しかし天主閣の鱗....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
岸地方には、なお蝦夷と呼ばれ、アイノと差別された部落が各地に取り遺され、その津軽領内において藩庁より最後の差別撤廃を命ぜられたのは、実に近く文化三年の事であった....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
国があってその国にコンボという大河があります。実はブラマプトラ川であるがコンボの領内を流れるからその土地の人がコンボ川と名づけて居るです。前にも申した通りいつも....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
。漫りに権威をなす」といっているのは、よくその状態を示したものである。彼らは実に領内の警察官であった。右のある人の説の如きも、後年彼らの価値が下落して後の観察で....