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風土記
「風土記〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
風土記の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「富士」より 著者:岡本かの子
あい」 といって出て行った。 この山の祖神の福慈の神に対する呪詛の言葉を常陸
風土記では、 汝所居山、生涯之極、冬夏雪霜、冷寒重襲、人民不登、飲食勿奠者 ....
「水の女」より 著者:折口信夫
うちに、古式を飜案して行っていた。出雲国造の奏寿のために上京する際の禊ぎは、出雲
風土記の記述によると、わりに古い型を守っていたものと見てよい。そうしてすくなくと....
「最古日本の女性生活の根柢」より 著者:折口信夫
精神生活の方面から見た時の呼び名として、恰好なものと信じている。古事記・日本紀・
風土記の記述は、万葉人の生活ならびに、若干は、それ以前の時代の外生活に触れている....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
「解文」に、白河・菊多の関を置きてより今に四百余歳とある文等を玩味するに、『常陸
風土記』の記事等と相啓発して、有史以後においても、なおある期間は関東地方に蝦夷の....
「「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
を有しないものも多いが、かつて山間に取り遺された先住民存在の伝説は甚だ多い。播磨
風土記には、多可郡の山間に異俗の部落二箇所を挙げてある。吉野山間の国樔人は言うま....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
のことに多かった事を誇大に述べているのである。別して、関東地方の事については常陸
風土記信太郡の条に、 風俗諺曰、葦原鹿其味若爛、喫異。 と云い、また多珂郡の条に....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
普通の事であって、一向珍らしくなかったが為と解するのが至当であるかもしれぬ。播磨
風土記|飾磨郡の条に、墓を造って葬り、後其正骨を運び去るなどあるのは、たまたま事....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
し彼らが蝦夷族ではないという事は、十年前と同じく、今もなおこれを信じている。常陸
風土記には国巣を俗に土蜘蛛または八掬脛というとある。そして越後
風土記には、この国....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
、この邪馬台国なる筑後の山門郡地方とのみならず、肥後にも古く同名の郷があり、播磨
風土記にも同じ名の地が見え、他にも少からず諸々に存在するのである。これについては....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
のである。したがってそこにはすこぶる古い風習も少からず遺っていたと見えて、斐太後
風土記によると、新甞とも云うべき早稲食饗や、茅輪潜と云って、氏子一同氏神の社に詣....
「手長と足長」より 著者:喜田貞吉
ている。嘉永の富田永世著上野名跡誌には、安倍貞任の残党の霊を祭ったのだとも、越後
風土記に見えた土蜘蛛八握脛を祭ったのだとも云うとある。また安政の毛呂権蔵著上野国....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
いのである。 うつそを麻績の王海人なれや伊良胡の島の玉藻刈り食す などは『常陸国
風土記』には板来、つまり今の潮来の歌として少し句をかえて伝えられていて、諸国へち....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
、互いに歌を詠み交わすための名であろうが、このかけ歌また一種の歌垣である。『摂津
風土記』に見える歌垣山、『万葉集』や『常陸
風土記』に見える筑波のカガイ、皆同じ種....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
あります。皮細工の雑戸で、それで「あまべ」の名を得ております。 もう一つ「出雲
風土記」にも余戸の説明があります。それには、「神亀四年の編戸による、天平の里」と....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
のらしい。承平二年の丹波国牒にも、「同国余部郷本より地なし」と見えている。「出雲
風土記」には、出雲の余戸を解して、「神亀四年の編戸に依る」とあって、天智天皇八年....