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「風雅〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

風雅の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
開化の良人」より 著者:芥川竜之介
《はぎ》』と云う芭蕉翁《ばしょうおう》の名高い句碑が萩の中に残っている、いかにも風雅な所でしたから、実際才子佳人の奇遇《きぐう》には誂《あつら》え向きの舞台だっ....
東海道五十三次」より 著者:岡本かの子
ける前日に城内から所望されたなどという連歌師の書いた旅行記がありますよ。日本人は風雅に対して何か特別の魂を持ってるんじゃないかな」 連歌師の中にはまた職掌《し....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
云うに……」 女の声が耳にはいったので、半七はふと見かえると、どこかの寮らしい風雅な構えの門の前で、年頃は二十五六の仲働きらしい小粋な女が、一人の按摩の袂をつ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ようにも思われ、いわゆる「同じ垣根の幾曲り」の別荘地を忍ばせるのであるが、根岸が風雅の里として栄えたのは、文化文政時代から天保初年が尤も盛りで、水野閣老の天保改....
茶の本」より 著者:岡倉覚三
ば欧米の家庭にしばしば見るような色彩形状の混沌たる間に毎日毎日生きている人たちの風雅な心はさぞかし際限もなく深いものであろう。 「数寄屋」はわが装飾法の他の方面....
食魔」より 著者:岡本かの子
りにしろ、食べもの漁りはやめなかった。 少青年の頃おいになって鼈四郎は、諸方の風雅の莚の手伝いに頼まれ出した。市民一般に趣味人をもって任ずるこの古都には、いわ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
あるから、半七もすぐに駈け付けた。 俳諧師の庵というだけに、家の作りはなかなか風雅に出来ていたが、其月の宅は広くなかった。門のなかには二十坪ほどの庭があって、....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
はもちろん歓待されて、かの女と膝をまじえて語ると、女はすこぶる才藻に富んでいて、風雅の談の尽くるを知らずという有様である。こんな所にこんな人が住んでいる筈はない....
半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
ばれる、三島沼津を掛けた高持の隠居で。……何不足のない身の上とて、諸芸に携わり、風雅を楽む、就中、好んで心学一派のごとき通俗なる仏教を講じて、遍く近国を教導する....
霊訓」より 著者:浅野和三郎
ってよい。しかも少しもあせらず、押売りせず、悠々として人智の発達を待とうとする高風雅懐は、まことに見上げたものである。私は心からこの章の精読を皆様におすすめした....
巴里のキャフェ」より 著者:岡本かの子
に雑誌社、新聞社の巣窟があった時代の習慣で足はおのずとここへ向く。デカダン時代の風雅に養成された彼は、今日の唯物的健康なるものに対して悉く反噬する。 「このごろ....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
反して日本には、いたるところの山川海湾は天然の画図を現出し、人をして知らず識らず風雅の思想に富ましむ。これ、わが邦人の美術の思想に長じ、米国人の乏しきゆえんなり....
県歌 信濃の国」より 著者:浅井洌
てゆけ久米路橋 くる人多き筑摩の湯 月の名にたつ姨捨山 しるき名所と風雅士が 詩歌に詠みてぞ伝えたる 五 旭将軍|義仲も 仁科の五郎|信盛も....
宝永噴火」より 著者:岡本かの子
心理の関係にある、その境地から逃れよう為もあったが、僧でもなく俗でもない身持で、風雅に対してだけ快楽を求める生活が、俄に不安を増して来たからだった。それはむやみ....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
過ぎない光景を、門越しに眺めて秀吉はほくそ笑みました。 「これならさすがの名人も風雅な款待が出来ないだろう」 一方利休は、もうちゃんと起きていました。起きてい....