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「飯田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

飯田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
湖南の扇」より 著者:芥川竜之介
赤煉瓦《あかれんが》の西洋家屋や葉柳《はやなぎ》なども見えるだけに殆《ほとん》ど飯田河岸《いいだがし》と変らなかった。僕は当時|長江《ちょうこう》に沿うた大抵の....
婦系図」より 著者:泉鏡花
として、その日は帰った。 すると昨日、母様がここへ訪ねて来たろう。帰りがけに、飯田町から見附を出ようとする処で、腕車を飛ばして来た、母衣の中のがそれだッたって....
眉かくしの霊」より 著者:泉鏡花
一 木曾街道、奈良井の駅は、中央線起点、飯田町より一五八|哩二、海抜三二〇〇尺、と言い出すより、膝栗毛を思う方が手っ取り....
空襲葬送曲」より 著者:海野十三
地方からの買出し人が来ると、商談を纏め、大きい木の箱に詰めて、秋葉原駅、汐留駅、飯田町駅、浅草駅などへそれぞれ送って貨車に積み、広く日本全国へ発送するのだった。....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
て、胃潰瘍をなおすために、甲州下部温泉へ向う。 十一月十八日 ◯岡東弥生さん、飯田氏へ嫁ぎたり。 ◯朝子育郎両人昨十月下旬、徹郎君所在の広島へ移る。(カゴシマ....
河明り」より 著者:岡本かの子
と豊島区と小石川区の堺の隅を掠めて、小石川区|牛込区の境線を流れる江戸川となる。飯田橋橋点で外濠と合流して神田川となってから、なお小石川から来る千川を加え、お茶....
田端日記」より 著者:芥川竜之介
と比較した所が面白かったから、いい気になって読んでいると、うっかりしている間に、飯田橋の乗換えを乗越して新見附まで行ってしまった。車掌にそう云うのも業腹だから、....
湯島の境内」より 著者:泉鏡花
うど可い空合いでしたから、貴方の留守に、お母さんのお墓まいりをしたんですよ。……飯田町へ行ってから、はじめてなんですもの。身がかたまって、生命がけの願が叶って、....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
の飛行より、時代はずっと新しい。――ここへ点出しようというのは、件の中坂下から、飯田町|通を、三崎町の原へ大斜めに行く場所である。が、あの辺は家々の庭背戸が相応....
お住の霊」より 著者:岡本綺堂
(これは漢学に達して、後には御目附に出身した人)が住んでいた。その妹は五年以前、飯田町に邸を構えている同じ旗下で何某隼人(この家は今も残っているから、姓だけは憚....
飯田蛇笏」より 著者:芥川竜之介
笏の名も知らなかった。が、そう云う偉い人を知らずにいるのは不本意だったから、その飯田蛇笏なるものの作句を二つ三つ尋ねて見た。赤木は即座に妙な句ばかりつづけさまに....
花束の虫」より 著者:大阪圭吉
を卒えた齢若い資産家であるが、不幸にして一人の身寄をも持たなかった代りに、以前|飯田橋舞踏場でダンサーをしていたと言う美しい比露子夫人とたった二人で充分な財産に....
二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
えないようだった。 犬よりも最う一倍酷愛していたのは猫であった。皆川町時代から飯田町、東片町の家に出入したものは誰でも知ってる、白いムクムクと肥った大きな牝猫....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
を作って両親と別居した。初めは仲猿楽町に新居を構えたが、その後|真砂町、皆川町、飯田町、東片町としばしば転居した。皆川町から飯田町時代は児供が二人となった上に細....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
津す。イキケよりここに至る海路、六百五十四マイルあり。検疫に時を移し、午後四時、飯田勘之助氏に導かれて上陸。さらに電車にて八マイルを走り、リマ市に入り、ホテル・....