» 饑饉

「饑饉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

饑饉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
羅生門」より 著者:芥川竜之介
。 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風《つじかぜ》とか火事とか饑饉とか云う災《わざわい》がつづいて起った。そこで洛中《らくちゅう》のさびれ方は....
カインの末裔」より 著者:有島武郎
年は六月の初めから寒気と淫雨《いんう》とが北海道を襲って来た。旱魃《かんばつ》に饑饉《ききん》なしといい慣わしたのは水田の多い内地の事で、畑ばかりのK村なぞは雨....
時代閉塞の現状」より 著者:石川啄木
けっかん》の日一日明白になっていることによって知ることができる。戦争とか豊作とか饑饉《ききん》とか、すべてある偶然の出来事の発生するでなければ振興する見込のない....
河明り」より 著者:岡本かの子
がある。橋の南詰の西側に錆び朽ちた、「迷子のしるべの石」がある。安政時代、地震や饑饉で迷子が夥しく殖えたため、その頃あの界隈の町名主等が建てたものであるが、明治....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
潔は、甲辰の年に役を罷めて淮上を旅行していました。 その頃、ここらの地方は大|饑饉で、往来の旅人もなく、宿を仮るような家もありませんでした。高いところへ昇って....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
た。 三重歯 右相丞|鄭雍の甥の鄭某は拱州に住んでいた。その頃、京東は大饑饉で、四方へ流浪して行く窮民が毎日つづいてその門前を通った。 そのなかに一人....
怨霊借用」より 著者:泉鏡花
……一揆の頭目でもなし、戦死をした勇士でもない。きいても気の滅入る事は、むかし大饑饉の年、近郷から、湯の煙を慕って、山谷を這出て来た老若男女の、救われずに、菜色....
開運の鼓」より 著者:国枝史郎
え、体こそ小さく痩せてはいたが触れれば刎ね返しそうな弾力があった。 彼の一家も饑饉に祟られ、その日その日の食い扶持にさえ心を労さなければならなかった。その貧困....
アイヌ神謡集」より 著者:作者不詳
ると直ぐに天※から 出て天国へ行ってしまった. その談判の大むねは,人間の世界に饑饉があって人間たちは今にも 餓死しようとしている.どういう訳かと 見ると天国に....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
軍家大奥の台一式の御用を勤めるお台屋の株を買って立派な旦那衆となっていた。天保の饑饉年にも、普通の平民は余分の米を蓄える事が許されないで箪笥に米を入れて秘したも....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
国は余程義気に富んで居る国で、戦争に勝ってペキンを取ってしまったけれど、ペキンが饑饉の時分に自分の国から米、麦あるいは着物など沢山船で持って来てそうして幾百万の....
革命の研究」より 著者:大杉栄
命家等を死刑にした「義人」ロベスピエールであった。彼は一七九三年の夏、パリ市民が饑饉に苦しんでいる時、イギリス憲法の特徴を議論することをジャコバン党に迫った男だ....
ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
だ明るいうちに、四時にもならないうちに、 腕ずくで札売場の口に漕ぎ附けて、 丁度饑饉の年に麪包屋の戸口に来るように、 一枚の入場券を首に賭けても取ろうとする、 ....
消えた美しい不思議なにじ」より 著者:小川未明
|十日もかかります。下界は、戦争があったり、地震があったり、海嘯があったり、また饑饉がありまして、人間は幾百|万人となく死んでいます。けれど、まだなかなか滅びる....
反キリスト教運動」より 著者:小川未明
していたなら、今度の欧洲戦争の如きも未然に防ぐことが出来たであろう。またロシアの饑饉に対し、オーストリー・ハンガリーの饑饉に対し、若しくは戦後のドイツに対して世....