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「高岡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

高岡の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
義血侠血」より 著者:泉鏡花
一 越中|高岡《たかおか》より倶利伽羅下《くりからじた》の建場《たてば》なる石動《いするぎ....
恐怖城」より 著者:佐左木俊郎
正勝さんのことを気にするなあもっともな話だよ。牧場のほうも農場のほうも森谷さまと高岡《たかおか》さまと二人で始めて、森谷さまのお嬢さんと高岡さまの坊ちゃんの正勝....
名人長二」より 著者:三遊亭円朝
三十七 岩村玄石を縛りあげて厳重に取調べますと、此の者は越中国射水郡高岡の町医の忰で、身持|放埓のため、親の勘当を受け、二十歳の時江戸に来て、ある鍼....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
て、夫婦の中に十歳になりますお繼という娘を連れて、行く処もなく、越中の国|射水郡高岡と云う処に、萬助という以前の奉公人が達者で居ると云うから、これを頼って行き、....
蟹の怪」より 著者:田中貢太郎
お種は涼しいその水の上に俯向いて一心になって汚れ物を揉んでいた。 そこは土佐の高岡郡、その当時の佐川領になった長野から戸波へ越す日浦坂の麓であった。そして、お....
蛇怨」より 著者:田中貢太郎
高知県高岡郡の奥の越知と云う山村に、樽の滝と云う数十丈の大瀑がある。それは村の南に当る....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
次にうつしてみると、こうもあろうかと聞きなされる―― 原田《げんでん》、毎々、高岡《かうかう》を繞《めぐ》る 想ひ見る、観師の※鞅《けんあう》を備ふることを ....
黒百合」より 著者:泉鏡花
でも親不知を越さねばならぬからと、大事を取って、大廻に東海道、敦賀、福井、金沢、高岡、それから富山。 三十五 湯の谷の神の使だという白烏は、朝月....
関牧塲創業記事」より 著者:関寛
は先ず例年暑中には海水浴を実行するを以て、此れに習い今回は温別にて行い、且つ甞て高岡氏より釧路支庁長に向うて予が為めに厚意を報ずるの一通あり、未だ釧路に出でざる....
地上」より 著者:島田清次郎
一度ラブレターを書くような心理状態になっているこのままで、少し書こう。己は越中の高岡の生まれだ。己は実の両親を知らない。どうして知らないか。嘘のようだがこうだ。....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
経歴は『大日本人名辞書』に掲げられたり。その略に曰《いわ》く、 林忠正は越中高岡《えっちゅうたかおか》の人にて父を長崎言定《ながさきことさだ》といふ。旧富山....
古事記」より 著者:太安万侶
ムヌナカハミミの命(綏靖天皇《すいせいてんのう》)、大和の國の葛城《かずらき》の高岡の宮においでになつて天下をお治め遊ばされました。この天皇、シキの縣主《あがた....
水面に浮んだ女」より 著者:田中貢太郎
して歓待した。そして、これを忠義に推薦した。忠義は彼の武功を聞いて、彼を抜擢して高岡郡の郡奉行にした。 平兵衛は高岡郡の奉行所へ移った。そして、加賀にある妻を....
『唯研ニュース』」より 著者:戸坂潤
たのは、今月の一日の夜である。翌朝の七時前後に富山に来た時、朝飯が食べたくなり、高岡まで何分かかるかと中野君に尋ねたら、一時間だというので駅弁を買ったのだが、食....
黒部川を遡る 」より 著者:木暮理太郎
から棒小屋沢までの路を作る最中であった。この一行には黒部の紹介に力を入れていた『高岡新報』の記者が同伴して居たらしい。それで私達を恰も競争者であるかの如くに思い....