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「高瀬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

高瀬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
土曜夫人」より 著者:織田作之助
女の構図 一 キャバレエ十番館の裏は、西木屋町に面し、高瀬川が流れた。 高瀬川は溝のように細い。が、さすがに川風はあり、ふと忍びよる....
岩石の間」より 著者:島崎藤村
する隠居さん夫婦もあった。 春の新学年前から塾では町立の看板を掛けた。同時に、高瀬という新教員を迎えることに成った。学年前の休みに、先生は東京から着いた高瀬を....
新生」より 著者:島崎藤村
下宿を見る度《たび》に、何時《いつ》でも彼は嘆息してしまった。 岸本の下宿には高瀬という京都大学の助教授が独逸《ドイツ》の方から来て泊っていた。この人の部屋は....
単独行」より 著者:加藤文太郎
えたるを見、感慨無量なり、もとの道に引返しルックザックをかつぎ喜作新道を進む。右高瀬川の谷を眺め、眺望よきこと言語に絶す。この辺の景色北アルプス第一ならむ。西岳....
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
城すべしと云う急電を受けるや、すぐ引返した。二十二日午前六時|南関を立って十一時高瀬で昼食したが、此時、少佐は軍医と計って、酢を暖めて足を痛めて居るものを洗わし....
山の湯雑記」より 著者:折口信夫
られる。景色のとり入れ方はむやみ連中に出あう。 荒川と言う其流れについて下って、高瀬とか言った宿屋数軒、外湯一棟と言う処も見て、湯沢温泉へ出た。そこで一軒、山の....
大阪の憂鬱」より 著者:織田作之助
。大の男が書くのである。いっそ蛍を飛ばすなら、祇園、先斗町の帰り、木屋町を流れる高瀬川の上を飛ぶ蛍火や、高台寺の樹の間を縫うて、流れ星のように、いや人魂のように....
雪代山女魚」より 著者:佐藤垢石
まく諸渓流には関東系の山女魚が棲み、犀川の上流日本アルプスから流れ出す奈良井川や高瀬川に産する山女魚は関西系に属し、江州琵琶湖に棲む※(アメノウオ)と同じである....
水の遍路」より 著者:佐藤垢石
曲川。ここの鮎は、数は少ないが引きが強くて面白い。北アルプス白馬の方から出てくる高瀬川に岩魚を探った夏の景色は雄大であった。草津温泉の澁峠を越えて、澁温泉の方へ....
秋深き」より 著者:織田作之助
「…………」 「私、絹代が好きです。一夫はあんまり好きやあれしません。あの人は高瀬が好きや言いますのんです」 「はあ、そうですか」 絹代とは田中絹代、一夫と....
穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
、不幸にもこの絶大の展望は、霧裡に奪い去られてしまった、が僅かに、銀蛇の走る如き高瀬の渓谷と、偃松で織りなされた緑の毛氈を敷ける二の俣赤ノ岳とが、見参に入る、大....
案内人風景」より 著者:黒部溯郎
しながら、沁々と語る。喜作はかすかに、ウーンと※っただけだった。私は数年前の冬、高瀬の奥で喜作が猿の皮を無雑作に頸に巻き付けた姿で、獲物の羚羊の皮の枠張に余念な....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
、さらに正徳二年に、妙法院に於いてこの地が入用とあって、妙法院領七条お土居以南の高瀬川付近に地を点定し、ここに移転せしめたのが後の柳原六条村である。当時給せられ....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
「二番堀」ではない。最後に川の上を通る船でも今では小蒸汽や達磨船である。五大力、高瀬船、伝馬、荷足、田舟などという大小の和船も、何時の間にか流転の力に押し流され....
黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
。立山後立山両山脈の南半に加えて、槍穂高の連嶂と常念山脈とが、北に向っては黒部及高瀬の二峡谷を擁し、南に向っては梓川の深谷を抱いて、殆ど相並行して洪濤の捲き起る....