鳥山[語句情報] » 鳥山

「鳥山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

鳥山の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
蘭学事始」より 著者:菊池寛
。 その日は、良沢の顔が見えないほか、一座の者は、中川淳庵、小杉玄適、嶺春泰、鳥山松園など、皆医師ばかりであったので、対話は多岐にわたらずして、緊張していた。....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
らかに晴れた大空をみあげながら云った。「江戸時代のお花見といえば、上野、向島、飛鳥山、これは今も変りがありませんが、御殿山というものはもう無くなってしまいました....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
しまじめになって向き直った。 「それを話す前に、実はね、兄さん。この二十一日に飛鳥山へお花見に行こうと思っているんです。なんだか世間がそうぞうしいから、いっそ今....
階段」より 著者:海野十三
国研は(国立科学研究所を国研と略称することも、其の日知ったのである)東京の北郊飛鳥山の地続きにある閑静な研究所で、四階建ての真四角な鉄骨貼りの煉瓦の建物が五つ六....
三狂人」より 著者:大阪圭吉
、絶えず禿山の裾が煙幕のような挨に包まれた、暑苦しい日の朝だった。 老看護人の鳥山宇吉は、いつものように六時に目を醒すと、楊枝を啣えながら病舎へ通ずる廊下を歩....
河明り」より 著者:岡本かの子
むかし石神井川といったその川は、今のように荒川平野へ流れて、荒川へ落ちずに、飛鳥山、道灌山、上野台の丘陵の西側を通って、海の入江に入った。その時には茫洋とした....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
前によび出されました。そうして、五つ(午後八時)の時計の鳴る頃まで、青柳春之助や鳥山秋作の話をしたのですが、それが病み付きになってしまって、それからはお仙が毎日....
画学校時代」より 著者:上村松園
いに人物画に精進することが出来たのでした。 当時は、狩野派や四条派といえば、花鳥山水動物の方が多く人物画はあまりありませんでした。 応挙派のものに、たまには....
爆薬の花籠」より 著者:海野十三
すを見てこい!」 隅っこの席で、ゆうゆうとまだ飯をくっているカナリヤ使の老芸人鳥山が、どなった。 「ああ、そうだ。じゃあ、大冒険だが、ちょっといって、見てこよ....
悪獣篇」より 著者:泉鏡花
ある。 その頂へ、あけ方の目を血走らして、大息を吐いて彳んだのは、狭島に宿れる鳥山廉平。 例の縞の襯衣に、その綛の単衣を着て、紺の小倉の帯をぐるぐると巻きつ....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
月、春木座で円朝物の「敵討札所の霊験」を上演した。主なる役割は水司又市(市蔵)白鳥山平(稲丸)おやま(莚女)おつぎ(九女八)等で、これも差したる問題にならなかっ....
深川女房」より 著者:小栗風葉
りそうでもなかろうぜ。忘れもしねえが、何でもあれは清元の師匠の花見の時だっけ、飛鳥山の茶店で多勢芸者や落語家を連れた一巻と落ち合って、向うがからかい半分に無理|....
今日になるまで」より 著者:上村松園
しました。また十九の頃漢学も習い始めました。その時分の京都では狩野派や四条派の花鳥山水が全盛で、人物画の参考が全然ありませんでした。そこで参考品を探すのに非常に....
古事記」より 著者:太安万侶
う。 皇后石の姫の命 ――靜歌の歌い返しと稱する歌曲にまつわる物語。それに鳥山の歌が插入されている。―― これより後に皇后樣が御宴をお開きになろうと....
仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
かりにしてしまえ」というのと同じです。 これでは日本の風景にしても、吉野山や飛鳥山ばかりになり、須磨の眺めや明石の風光や松島の絶景はなくなってしまうわけです。....