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于
「于〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
于の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「西湖の屍人」より 著者:海野十三
出てこなければならない。そうだろう。あとは根気競べだ」 3 青年|漢
于仁は、今日も窓のそばに、椅子をよせて、遙かに光る西湖の風景を眺めていた。 空....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
敬業は後に兵を挙げて、則天武后を討とうとして敗れた。 死婦の舞 鄭賓
于の話である。彼が曾て河北に客となっているとき、村名主の妻が死んでまだ葬らないの....
「武装せる市街」より 著者:黒島伝治
ていた小山は、唾を吐くように、叺にポイと投げて汚れた廊下をかえってきた。 「君、
于の奴をどう思うね?」 幹太郎の受持の、常から頭の下げっ振りが悪い変骨の
于立嶺....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
は小学校も休業だ。八月七日は村の七夕、五色の短冊さげた笹を立つる家もある。やがて
于蘭盆会。苧殻のかわりに麦からで手軽に迎火を焚いて、それでも盆だけに墓地も家内も....
「李陵」より 著者:中島敦
感じられる。 朝日の影が谷合にさしこんでくると同時に、(匈奴《きょうど》は、単
于《ぜんう》がまず朝日を拝したのちでなければ事を発しないのであろう。)今まで何一....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
問題は一転して察哈爾(チャハル)省に向かったというのである。河北省の悪玉であった
于学忠が退いて安堵したばかりの処を、この
于学忠よりももっと悪質な悪玉はチャハル省....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
は問題は一転して察哈爾(チャハル)省に向ったというのである。河北省の悪玉であった
于学忠が退いて安堵したばかりの処を、この
于学忠よりももっと悪質な悪玉はチャハル省....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
「なんにしても結構な思召《おぼしめ》しだ、ここにその謂《いわ》れが刻んである、依
于亡父成瀬隼人正藤原正成遺命而正房所営建也、并寄五十畝之田地於太子堂以為膏油之資....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
迄ノ所行ガオソロシクナッタ、ヨクヨク読ンデ味ウベシ、子ニ、孫ニマデ、アナカシコ。
于時天保十四年寅年初於鶯谷書ス 夢酔道人」 これで一巻を読み了《おわ》った時....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
あったから、その書に限り読む事を好まなかった。それよりは同じ位のもので、青山|延
于《のぶゆき》の『皇朝史略』の方を好んだ。そこで日本の南北朝時代を、通鑑綱目のよ....
「小翠」より 著者:田中貢太郎
笑い顔になった。 小翠は戸を閉めて、また元豊を扮装さして項羽にしたて、呼韓耶単
于をこしらえ、自分はきれいな着物を着て虞美人に扮装して帳下の舞を舞った。またある....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
す懐中の宝 霊童に輸与す良玉珠 里見氏八女 匹配百両王姫を御す 之子|
于に帰ぐ各宜きを得 偕老他年白髪を期す 同心一夕紅糸を繋ぐ 大家終に団欒の日あり....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
して至るところ大きな文化の洲渚を作って、或いは亀茲国(クッチャ)であるとか、或は
于※国(コータン)であるとかいうような文化国ができ、楼闌、敦煌というような文化の....
「西航日録」より 著者:井上円了
う。余、拙作一首を示すに、君これに和す。その詩に曰く、 日本井上円了博士遠訪
于哲孟雄金剛宝土贈詩和之 万死奔亡救国危、余生身世入須弥、何当空谷来鸞嘯、了尽人....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
の幸町の条に、 古翁云、往昔幸徳井(陰陽博士加茂氏吉備大臣末孫云云)当郷に住す。
于此幸井町と号すと云云。 吉備塚 当郷の後東の野中に在、是亦其証なり云云。 と....