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「原清〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

原清の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
いた。しからばその安倍頼時の女を母とし、清原武貞を継父としてその跡目を相続した藤原清衡が、それ自身俘囚であると認められたに不思議はなかるべきである。後世にも和人....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
兵力のみをもってしてはとうてい清原氏に勝つことが出来なかった。彼は依然俘囚たる藤原清衡の援助を得て、ついによくこれを滅ぼしたのであったから、義家任満ちて都に帰っ....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
麿も、少くとも昔の奥州の人は蝦夷仲間だと思っておりました。安倍貞任・清原武則・藤原清衡のような英雄・豪傑、佐藤忠信・西行法師の如き勇士・歌人なども、家柄を尋ねた....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
はんずらん。 とあるがごときこれなり。これらは大宮人が安倍宗任を夷なりと嘲り、藤原清衡がみずから東夷の遠酋、俘囚の上頭をもって任じたると趣を異にし、事実蝦夷なら....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
兼康 左府生大江経弘 右志 中原重成 左志 安倍資成 清原季光 中原清重 中原広基 右尉 平兼隆 下部 左尉 平成清 ....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
どで、彼らの事蹟はこれを証明すべきものなのであります。 安倍貞任、清原武則、藤原清衡、これらの人々の事を後世誰が蝦夷だと思うものがありましょう。系図の上から申....
「政談月の鏡」より 著者:三遊亭円朝
お引継になり、両奉行の誉《ほまれ》になったというお話でございます。宝暦の三年下河原清左衞門という浪人者が築地小田原町に裏家住いを致して居る中《うち》に、家主《い....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
平助 同 内海二郎 同 阿部十郎 同 富山弥兵衛 同 清原清 岡 佐原太郎 同 斎藤一 右の人名表を二人は、一通り眼を通....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
つ、広江寺これなり、時移ってかの寺破壊の後わずかに住持の僧一人鐘の主たりしが、藤原清衡砂金千両を三井寺僧千人に施す、その時、三綱某五十人の分を乞い集め五十両を広....
「台川」より 著者:宮沢賢治
にはとても杉なんか育《そだ》たないのです。〕うしろでふんふんうなずいているのは藤原清作《ふじわらせいさく》だ。あいつは太田《おおた》だからよくわかっているのだ。....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
つな手勢は、かねがね西園寺|公宗が一味とみられていた日野中納言父子、三善文衡、中原清景、橋本氏光などの持明院統の公卿をその家々に急襲して、かたっぱしから獄へ送り....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
が、なお彼は日本渡来の願望を捨てなかった。 天平勝宝五年秋に至って、入唐大使藤原清河、副使|大伴胡麿、吉備真備などが、揚子江口なる揚州府の延光寺に和尚を尋ねて....