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「文二〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

文二の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
根岸お行の松 因果塚の由来」より 著者:三遊亭円朝
した浅黄《あさぎ》の幟《のぼり》を杖にいたし、二年余も勧化《かんげ》にあるき、一文二文の浄財をあつめまして漸《ようよ》う谷中へ一基の塚をたてました。扨《さ》て永....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
を見まわしながら、どっかりと道ばたに腰をすえると、道ゆく城下の人たちを集めて、一文二文のお鳥目を請い受けながら、じょうずにさるをあやつりました。さるもきわめて手....
」より 著者:島木健作
にもたらしつつあったのである。太田はいくつかの大小の争議を指導しやがて正式に(原文二字欠)となった。彼は大阪に存在すると思われる上部機関に対して絶えず意見を述べ....
川中島合戦」より 著者:菊池寛
居るところであるが、其合戦の模様については、知る人は甚だ少い。琵琶歌|等でも「天文二十三年秋の半ばの頃とかや」と歌ってあるが、之は間違いである。 甲越二将が、....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
に、更にまた息子の縮尻がある。此上は死を以って諫めるほかに道はないと決意して、天文二十二年|閏正月十三日、六十幾歳かの雛腹|割いて果てた。 その遺書には、 ....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
渡った造顔術と混合した。 「朝鮮国より、玉六十八枚、金銀装横刀一|口、鏡一面、倭文二端、白眼|鴾毛馬一匹、白鵠二翼、造顔師一人、御贄五十|舁、を献ず」 とある....
運命」より 著者:幸田露伴
建文の時に於て、人情の純、道理の正に拠りて、言を為せる者也。 年は新になりて建文二年となりぬ。燕は洪武三十三年と称す。燕王は正月の酷寒に乗じて、蔚州を下し、大....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
えるが、それらの参詣者は、皆この村山口を取ったものであるらしい。今川家御朱印(天文二十四年)にも、村山室中で魚を商なってはならぬとか、不浄の者の出入を止めろとか....
伊勢之巻」より 著者:泉鏡花
蛉の飛びますようでござります。橋の袂には、女房達が、ずらりと大地に並びまして、一文二文に両換をいたします。さあ、この橋が宇治橋と申しまして、内宮様へ入口でござり....
死刑囚最後の日」より 著者:豊島与志雄
パンの皮を掘り出し、それをふいてから食べ、終日|鉤《かぎ》で溝をかきまわしては一文二文を漁《あさ》り、楽しみとしてはただ、国王の祝日の無料の見世物と、もう一つの....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
、銀一の姪のお志乃を養女にした。十一に養女となって今では十九である。 銀一は一文二文のことにまでお金にこまかい男だが、オカネはもッとこまかい。一文の百分の一ぐ....
間人考」より 著者:喜田貞吉
て如何なる者を間脇と称したりや、即ち百姓と間脇との区別は何処にありやと云ふに、寛文二年子の年十月二日元屋村石高小物成牛馬舟家人数指出帳を見るに、 一、家数弐拾....
澪標」より 著者:外村繁
年には名古屋へ行商に行き、享保十一年には江戸に入っている。同年、文庫蔵を建築、元文二年には本宅を改築、更に延享三年には隠居所を新築している。宝暦三年、名古屋では....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
中之町・下銭座町などの名も見えている。銭座とは六条村の南方郊外妙法院領の地で、寛文二年に大仏を鋳潰し、寛永通宝を鋳た場所である。これよりだんだん居小屋地南に延び....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
もしれぬ。 唱門師が冬季竈の塗替の節に来て地祭をしたことがある(『言継卿記』天文二十一年十一月二十一日)。 唱門師が病人のあった場合に依頼を受けて算を置きか....