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「津川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

津川の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
。新学期の講義の始まるのにも、もうあまり時間はない。そう思うと、いくら都踊りや保津川下《ほつがわくだ》りに未練があっても、便々と東山《ひがしやま》を眺めて、日を....
本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
家|杉田恭介《すぎたきょうすけ》君、川又英《かわまたえい》君、及び水戸中学出身の津川五郎《つがわごろう》君で、孰《いず》れも健脚御自慢、旅行は三度の飯より好きだ....
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
実に日本にとって非常な功績をなした人であると思います。安治川があるために大阪の木津川の流れを北の方に取りまして、水を速くして、それがために水害の患《うれい》を取....
世相」より 著者:織田作之助
たような自分の顔を鏡に覗いて、平気だ、平気だ、なんだあんな女と呟きながら、遠い保津川の川音を聴いていた。 女の過去を嫉妬するくらい莫迦げた者はまたとない。が、....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
の第二回(新富座)には「阿新丸」二幕を書いた。同年十月の第三回(東京座)には「十津川戦記」三幕を書いた。同時に紫紅君の「甕破柴田」一幕を上場した。勿論、これらは....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
猪苗代を蒲生四郎兵衛、南山を小倉孫作、伊南《いなみ》を蒲生左文、塩川を蒲生喜内、津川を北川平左衛門に与えて、武威も強く政治も届く様子だから、政宗も迂闊《うかつ》....
大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
おろした。嵐の瀞の光景は白い波と泥だらけの八丁だった。 中学時代に、私はこの十津川の九里峡を艪による船で下ったことがあった。それは晴れた八月だった。途中で夕立....
赤格子九郎右衛門の娘」より 著者:国枝史郎
てから二十日あまりの日が経った。 夜桜の候となったのである。 ここは寂しい木津川縁で、うるんだ春の二十日月が、岸に並んで花咲いている桜並木の梢にかかり、蒼茫....
知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
ずる癖ある叟にて、それよりそれと話の次に、平賀源内の明和年中大滝村の奥の方なる中津川にて鉱を採りし事なども語り出でたり。鳩渓の秩父にて山を開かんと企てしことは早....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
紹介してみる。 越後の中魚沼郡と信濃の下高井郡とにわたって、信濃川の支流なる中津川の上流、苗場山の西方渓谷地方を秋山谷という。交通不便な極めての山間で、里人と....
鮎の試食時代」より 著者:北大路魯山人
として残されたのである。 その後しばらくしてうまいと思って食ったのは、京都の保津川のほとりにおいてであった。洛西嵐山の渡月橋を渡って、山の裾を七、八丁登ると、....
鮎の名所」より 著者:北大路魯山人
ゆ中の最高とはいえず、況や東京ではなおさらだめと知らなければならない。 京都保津川のもよいが、これは土地で生きていてこそいちばんである。東京であゆをうまく食う....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
かり申し上げましょう。 ちよろづの星をやどして流れける ブラフマ川や天津川かも 天津神まします国のヒマラヤは ブラフマ〔(清浄天)〕川の上にか....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
山中、一番奥にある前鬼村の人々は、鬼の子孫だと云われていまして、紀伊粉河の北の中津川にも、その子孫と称する者が五家に分れているそうであります。また京都の東北の八....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
いう語は、相手を軽侮するような場合に用いられることとなった。今も大和吉野の山間十津川郷では、人を罵るに、「何だこの法師が」などというそうである。かく法師という語....